『きょうと・人・まち・であいもん』
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2013年03月23日

2013年3月23日放送 「石巻の小さな漁村の復興支援」里海で暮らす人々

△▼△3月は「京都府建築士会設立60周年記念事業」をピックアップ△▼△

ゲスト:チームサケ 大関 はるかさん

ohzeki.jpg  私は日常、京都の有限会社「ひのでやエコライフ研究所」で働いています。ここでは家庭でできる省エネのアドバイスや実施事業をしています。仲間達が震災後すぐの3月18日に現地に向けて出発しました。その支援活動から始まり、その後、私も第2陣として現地に赴くことになりました。
 宮城県石巻市雄勝半島の船越は350名が暮らしていた漁師町ですが、ほとんどの家が流されました。亡くなられた方は9名でした。私たちが訪れた多くの集落は半島の先端部分の小さな漁村で津波により壊滅状況ではありましたが、コミュニティ意識が強く声を掛け合って避難されていました。どこの集落でも亡くなられた方は被害の大きさに比べて少なかったように思います。
 こちらで採れる屋根材の雄勝石は硯石で有名ですが、被災で加工が難しくなりました。ボランティアが瓦礫の中から見つけた石を男性が加工し、船越レディースの皆さんが絵を付け紐飾りを編み、すてきなペンダントやキーホルダーができています。
 私は11年の3月末から月に2度ほど通っていました。向こうでは人との距離が近く生に対する姿勢がリアルで、行くと大きな喜びを感じられるのですが、帰ってくると京都の日常があり大きなギャップを感じてしまうのです。行く頻度とともに、そのギャップが辛くなりました。 
 船越レディースの皆さんだけでなく、印象的な方がたくさんいらっしゃいます。中里孝一さんは復興に向けてのリーダーのような方です。震災直後から瓦礫の中を歩いてご遺体がないか、皆さんの大切なものがないかと、毎朝海を歩かれています。また、馴れないブログもこなされ貴重な発信を続けられています。震災で失ったものは多いけど、頂いた人の繋がりはすばらしいと言われます。半壊したけれど残った中里さんの家では、居間の時計の上にツバメが巣をつくっています。孝一さんは何もなくなった集落にツバメが戻ってきたことを喜び、寒いなかツバメのために窓を開け放ち、子育てを見守ります。農村には人の暮らしの一部となっている里山がありますが、それは湾も同じで、ここの人々は海とともに生きているのです。湾のことを誰よりも理解し、海から恩恵を受ける暮らしを震災後も続けておられるのです。いわば「里海」なのです。
 これからも、皆さんとは電話やメールのやりとりを続け、必要なことがあれば、さっと動ける「チームサケ」でいたいと思います。





☆本日の担当:衛藤照夫


posted by 京都府建築士会 at 20:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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